東京高等裁判所 昭和53年(う)191号 判決
被告人 入角祐弘
〔抄 録〕
所論は、要するに、原判決は被告人に対し、同判示第一、第二の各覚せい剤譲渡の事実を認定し、右事実に対応する証拠として、それぞれ鑑定書(謄本)を挙示しているけれども、これらはいずれも、被告人に対する右各事実とは関係のない第三者の覚せい剤取締法違反事件において押収された覚せい剤についての鑑定書であり、したがって被告人に対する原判決には、右各鑑定書と本件で被告人が譲渡したとされる覚せい剤との結び付きを明らかにするための証拠、即ち捜索差押調書、鑑定嘱託書、鑑定書送付書等の関係証拠を証拠の標目として掲げなければならないのに、これら関係証拠を挙示しなかった原判決には、判決に理由を付せず、かつ判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
そこで記録および証拠物を調査して検討するに、なるほど原判決挙示の関係証拠のみによっては、前記各鑑定書と原判示第一、第二の覚せい剤の結び付きを明らかに認定することができないことは所論が指摘するとおりであるけれども、右関係証拠のほか原審において適法に取り調べた、司法巡査寒河江邦夫作成の捜索差押調書(謄本)、司法警察員根本豊作成の鑑定嘱託書謄本(但し押収品のうち第一号物件に関するもの)、司法警察員石川武光作成の捜索差押調書謄本、同木内稔作成の鑑定嘱託書謄本(二通)によれば、(一)被告人は、原判示第一の日時ころ、同判示場所において大林謙次に対し、覚せい剤結晶約八〇グラムを八〇万円で譲渡し(このとき譲渡された覚せい剤の量が約八〇グラムであることは後記認定のとおりである。)、同人はその当日中に右のうち約七二グラムを成岡靖弘に譲渡し、成岡はその翌日右覚せい剤のうち一〇グラム強を所持していたところを逮捕され、警視庁科学捜査研究所第二化学科主事水戸三郎は、右成岡が所持していた一〇グラム強(正確には一〇・一九五グラム)の覚せい剤を資料として鑑定を行ない、原判決が同判示第一に対応する証拠として挙示する同人作成名義の鑑定書を作成したこと、(二)被告人は原判示第二の日時ころ同判示場所において金子幸弘、大林謙次の両名に対し覚せい剤結晶約一〇〇グラムを一〇〇万円で譲渡し、まず金子が自分の注射分として約一〇グラムを抜き取り、残り九〇グラムを両名が加工し、いわゆるガンコロと称する大粒結晶とし、これを両名で半分宛に分け、金子は自己が配分を受けた覚せい剤の全部を約一グラム入りの小袋に小分けし、これをその後他に売却処分していたが、昭和五二年七月二一日その残りの〇・六九〇グラムを所持していたところを逮捕されたこと、警視庁科学捜査研究所第二化学科主事安田春男は、右金子が所持していた〇・六九〇グラムの覚せい剤を資料として鑑定を行ない、原判決が同判示第二に対応する証拠として挙示する同人作成名義の鑑定書を作成したこと、以上、(一)、(二)の事実が認められ、右によれば、前記各鑑定において資料として用いられた覚せい剤は、本件で被告人が、大林、金子らに譲り渡した覚せい剤の一部であると認定することができる。ところで、刑訴法三三五条一項が有罪判決に証拠の標目を示すことを要求しているのは、判示事実が証拠によらないで認定されたのではないことを明らかにさせ、証拠裁判の原則を保障するためであるから、判決の証拠の標目欄にはその事実を認めるに必要な最小限度の証拠を挙示すれば足り、必ずしも犯罪事実認定の資に供した全証拠を挙示することを要しないと解すべきところ(最高裁判所昭和三〇年八月二六日、同二五年(あ)第三、〇九五号第二小法廷判決、刑集九巻九号二、〇四九頁参照)、本件において被告人は、捜査官に対しても、原審公判廷においても、前記各鑑定において資料に用いられた覚せい剤と原判示第一、第二の覚せい剤とが同一物であることにつきこれを争っていないのであって、以上のように原審において適法に取り調べられた証拠によって、鑑定の資料として用いられた覚せい剤が、原判示第一、第二の覚せい剤の一部であることが認められ、被告人が右の点を争っていない場合には、判決書には捜索差押調書、鑑定嘱託書等関係証拠のいっさいをその証拠の標目に挙示する必要はないと解するのが相当であり、したがって本件において原判決が挙示する各証拠は、刑訴法三三五条一項が要求する判決に示すべき証拠の標目として十分であると認められるので、原判決には所論の違法はない。
(小松 千葉 鈴木)